最近同じアイコン画像で、なんだか申し訳ないです。
私は20年以上、日本のジュエリー業界で働いてきました。
160年の伝統ある会社に身を置き、デザインやものづくりに誇りを持ちながら、ひたすら顧客と仲間の期待に応えるために仕事を続けてきました。
しかし、ある出来事をきっかけに「組織の在り方とは何か」「人がイキイキと働ける環境とは何か」を深く考えさせられることになりました。ここでは、その経験を率直に記してみたいと思います。
広報の不在という現実
ある管理職は「広報」を担っているにも関わらず、社内広報を一切していませんでした。
社内広報は、情報共有と組織の透明性を保つために欠かせない仕事です。会社の中で何が起きているか、どんな活動をしているのか、社員にきちんと伝えるのは広報の大切な役割です。
ところが実際には、その役割は放置され、社内の文化を知り人の信頼を得るという基本的行為をせず、
結果的に私や他の適任者が業務を事実上肩代わりすることになりました。
自分の責任範囲を果たさないまま、他部署にしわ寄せが来る。この不健全さが、じわじわと現場を疲弊させていきました。
部長の役割を果たしていない
その広報管理職は、なぜかある日突然企画部長になりました。
企画部長として担うべきは、本来こうしたことです。
- 部下の仕事を理解し、育てること
- ジュエリーやデザインを学び、理解すること
- 社内文化を知り、共有すること
- 適切な素材の仕入れやルートを開拓すること
- 在庫や仕入れ状況を把握すること
- ブランドの価格設定に責任を持つこと
- デザイナーやアトリエと連携すること
- 在庫管理を徹底すること
ところが現実には、勤怠のメンション程度しかしていません。
部下が相談したいときも不在が多く、経費の正当性も理解しているとは思えない対応が目立ちました。さらに、新人面接における態度や言葉遣いは不適切で、会社の品位を損なうレベルでした。
「腐敗」が広がるリスク
問題は、一人の怠慢で終わりません。
その人物が「部長」として据え置かれている以上、他の社員は「職務を果たさなくても許されるのだ」と感じはじめました。
勤務態度が悪い人しか、昇格していない組織体制に、真面目に働いてきた従業員も疑問を持ち始めたのです。
組織全体の空気が、おかしくなってきました。
退職者が続々と現れました。
まじめに働く人ほど損をし、不公平感が広がり、やがて士気が下がっている現状を目の当たりにしています。
一人が、会社の崩壊を招く、そんな状況が目の前でおこっているのです。
こんな状況、みたいと思っても早々経験できません。
ブランドの信用は、製品のデザインや品質だけでなく、社員一人ひとりの誇りやモチベーションによって支えられています。組織が歪めば、顧客に伝わる輝きも失われてしまう、と私は改めて考えました。
私が学んだこと
この経験を通して痛感したのは、組織は人事の判断次第で腐ることがあるということです。
人事ってとても大切だということが改めてわかりました。
責任ある立場にある人がその責任を果たさないとき、会社は一気に弱体化することがわかりました。
逆に、透明性のある評価や公正な判断があれば、社員は安心して力を発揮できます。
その環境を整えるのは、難しいものでしょうか。
私はこの状況の中で「問題を直視し、声をあげること」の大切さも学びました。
誰もが口をつぐんでしまえば、当然絶対何も変わらない。
けれど、課題を洗い出し、改善を提案し、未来を描くことができる、それしか会社がよくなるという方法はないとわかりました。
でもそこから、会社が問題点を直視し変えるかは、経営陣の判断ですけど、、、。
未来への希望は薄いが、まだ捨てきれない
ジュエリーは、人の心を豊かにするものです。
そのジュエリーをつくる人間が、不公平や不信感に押し潰されていたら、本物の輝きを届けられるはずがありません。
今回の経験は、組織の課題を見つめ直す大切なきっかけになりました。
今の会社には、未練はありませんが、仲間を放置するわけにはいかず、今会社で動いているプロジェクトには貢献していきたい、とは今の時点では考えてはいます。
それも、私の大きなやるべき仕事の一部だとは思うからです。
会社の環境が、自分の能力をもう伸ばせる場所でないと感じた時、
どうするべきでしょう。
会社のクリエイティブに関する理解が低く、能力を発揮できていないデザイナーが、日本にはもしかしたらたくさんいるのではないでしょうか。
だから、日本企業のデザインが伸びないのではないでしょうか。
そんなことを感じた最近です。
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