派手さを超えた豊かさ――もののあわれと現代ジュエリー

ラグジュアリーといえば、豪華な装飾や目を奪う煌めきを想像する人は多いでしょう。

けれども今、世界の高級ブランドが注目しているのは「サイレントラグジュアリー」と呼ばれる静かな贅沢です。

ロゴを誇示せず、語らず、ただ素材と仕立ての確かさだけで価値を示す。
その考え方は、実は日本が古くから大切にしてきた美意識と深く響き合っているように思うのです。

目次

派手さの象徴――ロココのラグジュアリー

18世紀ヨーロッパ、ロココ文化は華やかさの頂点でした。
フリルに包まれたドレス、煌びやかな宝石、過剰な装飾。ラグジュアリーとは「他者に見せるための権力の象徴」でした。
マリーアントワネットが象徴的といえます。

しかし、その過剰さはやがてフランス革命の反発を招きます。

現代の日常着はすっかりカジュアルになり、社交界やパーティーの場面、ハリウッドや華やかさを売りにするイベントではドレスが見られるくらいになりました。
日常での華やかさやジュエリーの役割が、時代と共に変化したのです。

コロナ前にピークがあった、中国インバウンドは、世界のラグジュアリーブランドを買い漁りました。ラグジュアリーブランドは、こぞって派手な色合いやロゴを異常に強調した、目立つデザイン。中国向けの商品で、世界中のブランド商品は、上品さがなくなりつつありました。

現代に生まれたサイレントラグジュアリー

中国経済が下降し、中国人のインバウンドがみられなくなり、ラグジュアリーの将来は正反対の方向を指していると、私は考えています。
ロゴは控えめに、色彩は落ち着き、代わりに素材や仕立ての確かさに価値を置く。

日本では、よりその考え方に、精神のラグジュアリー感を抱く人が増えていくと思うのです。

誇示のためではなく、身につける人自身が「心地よい」と感じるための贅沢。
満たされた社会において、人は派手さよりも「静けさ」を豊かさとみなすようになる、なっていくと思っています。

日本古来の美意識と静けさ

ここでより注目されるべきは、日本の美意識です。

もののあわれ

平安文学『源氏物語』に典型的に表れる感性。桜の花が散るとき、人はその儚さに心を揺さぶられます。美とは永遠に咲き誇ることではなく、移ろいゆく瞬間に宿るもの。

侘び寂び

茶の湯や俳諧に結実した思想。錆びた茶釜、ひび割れた茶碗、簡素な庵。華やかさを削ぎ落とし、余白の中に深い味わいを見出します。

幽玄

能楽や和歌に表現される「言葉に尽くせない奥行きある美」。
光と影、見えるものと見えないものの間に漂う気配を大切にします。

これらは共通して「控えめさ」「儚さ」「余白」に価値を見出す美意識です。

西洋が「派手さの反動」としてサイレントラグジュアリーに至ったのに対し、
日本では古来より「静けさこそが贅沢」という文化が息づいていたのです。

ジュエリーに映るもののあわれ

ジュエリーを考えると、この日本的感性はよく響きます。

大粒の宝石で他者の目を奪うのではなく、銀が時と共に柔らかく光を変える姿、小さな傷が人生の痕跡を物語る瞬間にこそ美を見出す。
それは「永遠の輝き」を求める西洋的な価値観とは異なり、「移ろいの美」を愛でる日本的なラグジュアリーです。

現代のサイレントラグジュアリーと、この「もののあわれ」の感性は響き合い、派手さを超えた静けさを贅沢と感じさせます。

そんな、日本人の美的感覚を磨くような、そういう静寂に心の豊かさを感じさせるような、そんなものを作っていきたいと思っています。

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この記事を書いた人

ジュエリーデザイナー26年
ジュエリー職人4年 CAD1年
ジュエリーブランドディレクター10年
製作が好きで飛び込んだジュエリー業界で様々な経験を積みながら
品があるデザイン、上質といえる技術を模索。
”静寂なる輝き”を極める旅を続けています。

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