日本文化の美学としての「陰翳」
谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』は、日本文化の美意識を象徴する随筆です。
そこには、太陽の下で煌めく鮮烈な光ではなく、仄暗い中に漂う陰影の中にこそ美が宿る、という思想が描かれています。
漆器の艶や、障子を透かす柔らかな光、仄暗い室内でほのかに輝く金箔――。
西洋が「光を集めて輝きを強調する美学」だとすれば、日本は「光と影の呼吸」を楽しむ美学。そこに私たちの感性の根があるのです。
ロンドンでの出会いと視点の転換
私がこの随筆を初めて意識したのは、20代のロンドン時代。
ファッションデザイナー・山本耀司さんの記事の中で『陰翳礼讃』に触れられていたのがきっかけでした。
ロンドンでの生活は、日本とは異なる文化を初めて全身で体感する時間でした。街並みの色彩、光の当たり方、人々の服の着こなし――それらは日本の日常とはまったく違うものでした。
ヨーロッパ各地を旅しながら、私は初めて「日本とは何か」「日本社会の性質とは」「日本文化とは」を無意識に考えはじめたように思います。
外に出て初めて、自分の足元にある文化を深く見つめ直す視点が生まれたのです。
身体と光のバランスに宿る美
『陰翳礼讃』の中には、西洋人と東洋人の身体における美意識の違いに触れた箇所があります。
日本人の身体は寸胴であるからこそ、首元、襟足に美しさや女性らしさを集約させた、ということと、肌の質感の違い。白人はどうにも透明度が高い白であるのに対し、日本人の色白は奥にくすみを感じさせる白であること。
この視点はジュエリーデザインにおいても非常に重要です。
顔の骨格や肌の色、光の当たり方によって、同じジュエリーでも印象は大きく変わる。西洋的な「光を強く反射させる宝石づかい」だけでなく、東洋的な「影を抱え込み、余韻を生むバランス」こそが、今後のジュエリー表現の可能性だと、最近強く感じるようになりました。
ジュエリーに生かす「陰翳の発想」
静かな輝きとしての文化
文化とは、固定された遺産ではなく、日々の暮らしの中で呼吸し、変容し続けるものです。
桜の散り際に感じる無常観、結びに込められる縁起、円相に宿る調和の思想。
そうした日本的美意識を現代に翻訳することで、ジュエリーは単なる装飾を超え、「文化をまとう体験」となります。
谷崎潤一郎が描いた『陰翳礼讃』は、過去の美学ではなく、未来を照らす哲学でもあります。
煌めきに疲れた時代に、陰翳がもたらす静かな輝きは、むしろ新しいラグジュアリーの方向性となりうる。
Silent Sparklesを掲げ、私が目指すのは、まさにその“静けさに宿る光”です。
ジュエリーを通して、日本の文化的美意識を世界へ――それは、これからのデザインの伸びしろであり、未来の可能性でもあるように、考えています。
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