Designing for Sensibility|感受性をひらく学び #07_ 感受性を高めることは、自分らしく生きる力になる

目次

自分らしく生きるとは、何を意味するのか

「自分らしく生きる」という言葉は、よく使われます。

けれど実際には、自分らしく生きることは、簡単ではありません。

社会にはたくさんの基準があります。
正解とされる生き方。
評価されやすい働き方。
よいとされる選択。
人から見て間違いがなさそうな道。

私たちは知らないうちに、そうした外側の基準に合わせながら生きています。

もちろん、社会の中で生きる以上、周囲との調和や責任は大切です。
けれど、外側の基準だけで選び続けていると、だんだん自分の感覚がわからなくなることがあります。

私は本当は何が好きなのか。
何に心が動くのか。
何に違和感を持っているのか。
どんな状態でいると、自分らしく呼吸できるのか。

自分らしく生きることは、
特別な個性を強く主張することではなく、
まず自分の感覚に気づくことから始まるのだと思います。

デザイン思考で考えると、外からの圧で人は内側からの力を決めているわけですが、
外からかかる圧(例えばストレス)を決めているのも、自分の内側の力、なんだという話を思い出しました。
無意識のうちに、自分で決めているんですよね。

感受性は、自分の内側を受け取る力

感受性というと、外の世界を敏感に感じ取る力のように思われがちです。

美しい景色に心が動く。
音楽に深く感動する。
人の表情の変化に気づく。
空間の空気を感じ取る。

もちろん、それも感受性です。

けれど同時に、感受性は自分の内側を受け取る力でもあります。

自分は今、何を感じているのか。
なぜ、この言葉に引っかかったのか。
なぜ、この場所にいると落ち着くのか。
なぜ、この関係性に少し苦しさを感じるのか。
なぜ、この形や色に惹かれるのか。

そうした内側の小さな反応を、なかったことにしない力。

それが、感受性なのだと思います。

自分の感覚を受け取れるようになると、
自分にとって大切なものが少しずつ見えてきます。

「好き」は、自分を知るための入口になる

自分の「好き」を大切にすることは、軽いことのように見えるかもしれません。

でも私は、「好き」は自分を知るための大切な入口だと思っています。

何に惹かれるのか。
どんな色に安心するのか。
どんな形に美しさを感じるのか。
どんな場所にいると心が整うのか。
どんな言葉に励まされるのか。

そうした「好き」の中には、その人の価値観が表れています。

「好き」は、単なる趣味ではありません。
自分がどのように世界を受け取っているかを教えてくれる、静かなサインです。

もちろん、人の好みは変わります。
年齢や経験、出会う人や環境によって、感じ方も変わっていきます。

けれど、その変化を含めて、自分の「好き」を観察することは、
自分自身を理解することにつながります。

自分の「好き」を信じられる人は、
他人の評価だけに流されにくくなります。

違和感は、自分を守るための感覚でもある

「好き」と同じくらい大切なのが、違和感です。

何かがおかしい。
なぜか苦しい。
説明はできないけれど、少し引っかかる。
このまま進むことに、心がついていかない。

そうした違和感は、できれば見ないようにしたくなるものです。

気にしすぎかもしれない。
自分がわがままなのかもしれない。
みんなは平気そうだから、自分だけがおかしいのかもしれない。

そう思って、違和感を押し込めてしまうことがあります。

けれど違和感は、自分を守るための大切な感覚でもあります。

違和感は、心の奥にある価値観が反応しているサインです。
「これは自分にとって大切なことかもしれない」と知らせてくれる、小さな声です。

その声を無視し続けると、自分が何を感じているのかわからなくなってしまいます。

だからこそ、違和感を大切にすることは、
自分の軸を取り戻すことにつながるのだと思います。

感受性が鈍ると、他人の基準で生きやすくなる

感受性が鈍ると、自分の感覚よりも、外側の基準を頼りにしやすくなります。

何が売れているのか。
何が評価されているのか。
何が正解に見えるのか。
何を選べば間違いがないのか。
誰にどう見られるのか。

そうした基準は、社会で生きる上でまったく不要なものではありません。

でも、それだけを頼りにしていると、
選択の主体が自分ではなくなっていきます。

自分がどう感じるかより、
人からどう見えるか。

自分が何を大切にしたいかより、
何が損をしないか。

自分がどんな人生を生きたいかより、
何が無難か。

そのような選択を重ねると、外側から見ると問題がなくても、
内側では少しずつ自分から離れていくような感覚が生まれることがあります。

感受性を高めることは、その反対です。

自分の内側の反応に気づくこと。
自分の価値観を受け取ること。
自分の目で見て、自分の心で選ぶ力を取り戻すこと。

それは、自分らしく生きるための土台になるのだと思います。

美意識は、人生を選ぶ力になる

私は、美意識とは、単に美しいものを見分ける力ではないと思っています。

美意識 =感性 × 審美眼 × 価値観 × 判断力 × 生き方

もう​少し​整理すると、​

1.感性

何に​心が​動くか。​

美しい、​嫌だ、​違和感が​ある、​惹かれる、と​いう​反応。​

2. 審美眼

​その​感覚を​見分ける力。​

「な​ぜ美しいのか」​「なぜ​安っぽいのか」を​判別する力。​

3. 価値観

何を​大切に​するか。​

品格、​余白、​誠実さ、​自然さ、​強さ、​静けさなど。​

4. 判断力

選ぶ力、​捨てる力。​

流行っていても​選ばない。​高くても​違うなら​買わない。​売れても​美しくなければ​作らない。​

5. 生き方

​その​判断を​積み重ねた​結果。​

服、​靴、​言葉、​仕事、​人との​関わり方、​ブランドの​作り方に​出る​もの。​

つまり​美意識は、​単なる​「センス」ではなく、​

何に心が動き、何を美しいと見なし、何を選び、何を選ばず、どう生きるかの一貫性

であり​

「何を美しいと感じ、何をよしとし、何を選ばないか」を決める内側の基準

だと​思います。​

ただの​センスでは​ありません。​

センスは、​

「似合う​・おしゃれ・バランスが​いい」を​感じ取る力。​

でも​美意識は、​もっと​深くて、​

その人が何を大切にして生きているかが、選択に現れたもの

です。​

美意識は、判断の知性でもあります。

何を美しいと感じるか。
何を心地よいと感じるか。
何に品格を感じるか。
何を大切にしたいと思うか。
どんな在り方を、自分はよいと思うのか。

そうした判断の積み重ねが、美意識です。

そして美意識は、モノを選ぶときだけでなく、
仕事や人間関係、生き方を選ぶときにも関わってきます。

どんな働き方をしたいのか。
どんな人と関わりたいのか。
どんな社会に貢献したいのか。
どんな言葉を使いたいのか。
どんな空気をまとって生きたいのか。

美意識が育つと、自分にとって何が大切なのかが見えやすくなります。

それは、人生の選択において大きな支えになります。

感受性は、傷つきやすさだけではない

感受性が高いというと、傷つきやすい、繊細すぎる、疲れやすい、という印象を持たれることがあります。

確かに、よく感じる人は、痛みや違和感にも気づきやすいかもしれません。
人の言葉や空気に影響を受けやすいこともあるかもしれません。

けれど、感受性は弱さだけではありません。

小さな美しさに気づける力。
人の気配を感じ取れる力。
自分の心の動きを観察できる力。
社会の中にある見えにくい不自由に気づける力。
まだ言葉になっていない価値を見つける力。

それは、創造力の源でもあり、
人と深く関わるための力でもあり、
自分の人生を自分の感覚で選ぶための力でもあります。

感受性をただ抑えるのではなく、
整え、磨き、社会の中で活かせるものにしていくこと。

そこに、これからの可能性があるのだと思います。

自分の感覚を信じられる人は、他者の感覚も尊重できる

自分の感覚を大切にすることは、わがままになることではありません。

むしろ、自分の感覚を丁寧に扱える人は、
他者にもそれぞれの感覚があることに気づきやすくなります。

自分には自分の「好き」がある。
自分には自分の違和感がある。
自分には自分の大切にしたい世界がある。

そう理解できると、
他の人にも、その人なりの「好き」や違和感や大切な世界があるのだと想像できます。

感受性は、自分に閉じるものではありません。

自分を深く知ることは、
他者をより丁寧に想像することにもつながります。

だから、感受性を高めることは、
自分らしさと他者へのやさしさを同時に育てる可能性を持っているのだと思います。

自分らしさは、社会から切り離されたものではない

自分らしく生きるというと、
社会から離れて、自分だけの世界に入ることのように思われることがあります。

けれど私は、自分らしさは社会と切り離されたものではないと思っています。

自分の感覚を大切にする人が増えると、
社会の中に多様な美意識が生まれます。

人と同じでなくてもよい。
自分の感じ方を持っていてよい。
誰かの価値観を一方的に押しつけなくてよい。
それぞれの違いを、少し丁寧に扱える。

そうした空気が広がることは、社会の豊かさにもつながります。

自分らしく生きることは、
自分勝手に生きることではありません。

自分の感覚を持ちながら、
他者の感覚にも想像を向けること。

その両方があって初めて、
人はよりよく社会と関わることができるのではないでしょうか。

感受性が高まると、人は幸せになれるのか

私の活動の上での最も重要な問いがあります。

感受性が高まると、人は幸せになれるのか。

この問いに、まだ簡単な答えは出せません。

感受性が高いことで、苦しさを感じることもあります。
人より多くのものを受け取りすぎて、疲れることもあります。
見えなくてもよいものまで見えてしまうこともあります。

それでも私は、感受性を閉じることが幸せにつながるとは思えません。

自分が何を感じているのか。
何に心が動くのか。
何を美しいと思うのか。
何に違和感を持つのか。
どんな世界で生きたいのか。

それを受け取る力があってこそ、人は自分の人生を選べるのだと思います。

感受性は、幸せを保証するものではありません。
けれど、幸せを自分の感覚で見つけていくための、大切な力なのではないでしょうか。

感受性を高めることは、自分の人生を取り戻すこと

感受性を高めることは、特別な人だけのためのものではありません。

芸術家やデザイナーだけのものでもありません。
繊細な人だけのものでもありません。

誰にとっても、自分の感覚を取り戻すことは大切です。

日々の中で、何に心が動いたのか。
何に安心したのか。
何に疲れたのか。
何を美しいと思ったのか。
何をこのままにしたくないと思ったのか。

そうした小さな反応を丁寧に受け取ること。

そこから、自分の価値観が少しずつ見えてきます。
自分の選択に、自分の意思が戻ってきます。
他人の基準だけでなく、自分の感覚で人生を選べるようになります。

それは、とても静かなことかもしれません。
けれど、深い意味で、自分の人生を取り戻すことなのだと思います。

感受性を高めることは、自分らしく生きる力になる。

そして、自分らしく生きる人が増えることは、
社会全体を少しずつ豊かにしていく力にもなるのではないかと思っています。

そういうわけで、
ジュエリーを創作したり、
考えをまとめたり、
全ての私の活動は、
感受性が高まると、人は幸せになるのか、
その問いを探求するために、続けているのです。

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この記事を書いた人

ジュエリーデザイナー26年
ジュエリー職人4年 CAD1年
ジュエリーブランドディレクター10年
製作が好きで飛び込んだジュエリー業界で様々な経験を積みながら
品があるデザイン、上質といえる技術を模索。
”静寂なる輝き”を極める旅を続けています。

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